青信号は緑?言語の謎

雑学

「ママ、あれ緑じゃん。なんで青って言うの?」

横断歩道の前で、5歳の娘に聞かれた。信号を指さして、まっすぐな目で。……答えられなかった。いや、正確に言うと「昔からそう呼んでるんだよ」としか言えなかった。それが悔しくて調べてみたら、想像以上に深い世界が広がっていた。

「青」はもともと緑も紫も含んでいた――古代日本語と世界の色彩感覚

古代の日本語には、基本の色名がたった4つしかなかった。「アカ・シロ・クロ・アオ」。たったこれだけで、世界のすべての色を表現していたらしい。

驚いたのは「アオ」の守備範囲の広さ。青、緑、紫、さらには黒っぽい色まで、ぜんぶ「アオ」だったという。平安時代の文献には「青き松」「青き草」なんて表現がふつうに出てくる。当時の人たちにとって、木々の緑は「青」そのもの。私たちが当たり前に分けている「青」と「緑」の境界線、実はたかだか数百年の歴史しかないのだ。これは言語学で「色彩語彙の発達段階」として研究されている人類共通の傾向でもある(出典:Berlin & Kay『Basic Color Terms』1969年)。

個人的にいちばん「へえ!」となったのが、この現象は日本語だけじゃないということ。ベトナム語の「xanh」は青と緑の両方を意味するし、タイ語の「เขียว(khiaw)」も青緑系をまとめてカバーする。逆にロシア語では、青を「濃い青(siniy)」と「水色(goluboy)」の2語に分けていて、ロシア人にとってはこの2つは完全に別の色。日本人が赤とオレンジを別物と感じるくらいの感覚差があるそうだ。

言語が違うだけで、見えている世界が変わる。なんだかSFみたいな話。

ちなみに信号機の呼び方も国によってバラバラで面白い。韓国は日本と同じく「青い光(파란불)」と呼ぶけれど、中国は「緑灯」、英語圏は「Green light」。同じ色を見ているのに、言葉が違う。

こういう「当たり前を疑う」系の話だと、エレベーターの鏡の理由もけっこう衝撃だったので、気になる方はぜひ。

信号機が「赤・黄・緑」になった科学的な理由と、脳が色をつくる話

そもそもなんで信号機は赤・黄・緑なのか。これにもちゃんと科学的な裏付けがある。

赤は、遠くまで届く色。可視光線のなかで最も波長が長く、大気中で散乱しにくい。だから「止まれ」に使われている。一方緑が選ばれた理由は、人間の目がいちばん敏感に感じ取れる色だから。昼間の太陽光下では、人間の視覚感度は波長555nm付近――つまり緑色でピークを迎える(出典:CIE 1924 標準比視感度関数)。夜でも見やすく、赤との区別もつきやすい。合理的。

実は初期には青色も候補に挙がっていたけれど、当時のガス燈技術では純粋な青の発光がむずかしく、見分けがつかないという問題があった。LED全盛の今でも緑のほうが視認性に優れているため、変更されていないそうだ。

もっと面白いのが、脳科学の話。私たちは色を「目で見ている」と思っているけれど、実は左脳の言語野が色の分類に深く関わっている。つまり、色を見た瞬間に脳が「これは何色か」を言葉で処理している。

こんな実験がある。青と緑を厳密に区別する言語の話者と、区別しない言語の話者に、微妙な青緑色を見せる。すると前者のほうが、色の境界付近での判断が早く正確だった。言語が、色認識の「フィルター」になっている。これ、地味にすごくないですか。私たちは世界をそのまま見ているんじゃなくて、母語というメガネを通して見ている。

ちなみに赤緑色覚異常の方は男性の約5%、女性の約0.2%にのぼる(出典:日本眼科学会)。だから現代の信号機には、LEDの色味調整、位置(上が赤・下が緑)での判別、音響信号の併用など、さまざまな工夫が施されている。こうした「見え方の多様性」への配慮って大事だなと、調べていて改めて思った。

音の不思議つながりで言えば、救急車のサイレンの音が変わる理由も面白かった。日常にはこういう「なぜ?」がいっぱい転がっている。

言葉って面白い

調べていていちばん驚いたのは、市民の言葉が法律を変えたという事実だ。

1930年、日本初の信号機が設置されたとき、法令上の正式名称は「緑信号」だった。でも市民はみんな「青信号」と呼んだ。そして1947年、道路交通法が制定されるとき、政府は世論に合わせて「青信号」を正式採用した(出典:警察庁交通局資料)。法律のほうが折れたのだ。言葉の力、恐るべし。

青汁、青のり、青菜、青りんご、青葉、青田、青春――。私たちの日本語には、緑を「青」と呼ぶ表現がこんなにも残っている。これはもう単なる「色の間違い」なんかじゃなくて、千年以上の時間をかけて積み重なった、日本語の地層みたいなもの。LED技術がどれだけ進歩しても、AIが信号を制御する時代が来ても、たぶん私たちは「青信号で渡ろう」と言い続ける。言語は技術よりずっと保守的で、だからこそ温かい。

娘に聞かれたあの日、私はうまく答えられなかった。でも今なら言える。「昔の日本人はね、緑も青もぜんぶ”あお”って呼んでたんだよ。その気持ちが今も残ってるの」って。たぶん娘は「ふーん」で終わるだろうけど、いつかこの話を思い出してくれたらうれしい。

人間関係でも「見え方の違い」って大事で、嫌いな人を好きになる心理テクニックの記事でも書いたけれど、相手と自分では世界の見え方が違うという前提に立つだけで、けっこう楽になる。色の話から人間関係の話に飛躍しすぎかもしれないけれど、根っこは同じだと思っている。

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